※こちらの記事は2024年9月にアップした記事を都度、編集・追記しています。
こんにちは!アラフォーランナー葱坊主です!
パリ・オリンピックから早1か月以上過ぎましたが、私が最も印象的に残ったシーンは男子マラソンの圧倒的王者キプチョゲ選手がまさかのDNF(途中棄権)でレースを終えてしまったことでした。
年齢限界説などが飛び交う中、ちょうどこの『ランナーは太陽をわかちあう』~ケニアの伝説的ランニングコーチと世界王者たちの物語~のリリースが8月9日(金)。男子マラソン前日とあって夏休みに購入してみました。
キプチョゲ選手など世界トップクラスのマラソン大国となったケニアでコーチを務めるパトリック・サング氏とはどんな人物なのか?なぜ、ケニアは世界を席巻するマラソン大国になったのか?
今日のブログでは、この『ランナーは太陽をわかちあう』を読了したあとの感想なども交えたレビューです。
▼目次
①パトリック・サング氏とは?
②サング氏とキプチョゲ選手の出会い
③マラソンだけでなく、生き方さえも教えてくれる名言が凝縮された一冊
④自分自身に正直に生きることの大切さ
⑤まとめ ~人生には浮き沈みがある。うまくいく日もあれば、うまくいかない日もあるんだ~
①パトリック・サング氏とは?
1964年ケニア生まれの陸上選手、3,000m障害物競争のケニア代表として1988年ソウル・オリンピック7位、1992年バルセロナ・オリンピックで銀メダルを獲得。
この時、サング氏はコーチをつけず、修道士のようにひたむきな日々の猛練習を一人で実践していましたが、一人での練習に限界を感じ、その時からコーチの存在を渇望。
(中略)最後の一踏ん張り、もう一歩の頑張りが欠けていた。もしそれを後押ししてくれる誰かがいれば、どれほどありがたかったことだろう。コーチはトレーニングパートナーと同じように、選手の限界を試してくれる。
※序文より一部引用しました。
序文では、サング氏がメダルを獲得したバルセロナ・オリンピックでのレースの様子を時間単位で描写。選手の息遣いや熱気までが伝わってくるかのように、メダルへの渇望がひしひしと伝わってくる序文から一気に引き込まれてしまいました。
そして、そのサング氏の手に汗握るレースの模様を白黒テレビで見つめている一人の少年がいました。
名前はエリウド。
彼は後に世界のマラソン史に残る選手に登り詰めます。
バルセロナ・オリンピックではサング氏の銅メダルを含めて、3,000m障害物競争のメダルはケニアが独占。
その活躍でより一層ケニア勢の独壇場は続くものと世界は認識し、サング氏もケニアの陸上シーンを牽引する重要な人物になります。
それはランナーではなく、世界チャンピオンやオリンピック選手、世界記録保持者を、そして【史上最高のマラソン選手】を輩出するコーチとしてです。
②サング氏とキプチョゲ選手の出会い、そしてマラソンへの転向
サング氏とキプチョゲ選手との出会い
序文が終わると、ここでキプチョゲ選手への生い立ちとランニングを始めたエピソードなどが続きます。
輝かしい功績の裏には、実は父親は生まれる前に亡くなっていること、そしてサング氏との運命的な出会いについて、まるでつい昨日かのような出来事であるかのように描かれています。
キプチョゲ選手が高校に通っていた頃、その通学路を走っていたランナーがサング氏。
バルセロナ・オリンピック後にサング氏は、ケニア・スポーツ省の青少年スポーツ群執行委員会の委員を務めながら、陸上コーチに従事。
ある日、グラウンドで選手を指導していると、温厚そうな10代の一人の少年が、「将来ランナーになりたい」と売り込んできました。そして、物怖じせず練習メニューを作ってほしいとリクエスト。お互い近所に住んでいながらサング氏はその少年のことを誰なのかまったく知らなかったそうです。メニューを作ってほしいと譲らない少年に対して、サング氏は近くに落ちていた小枝を使って、地面に10日分のメニューを書きました。
「10日間練習したら、11日目は休むこと」
その少年はすぐに自宅に戻ってノートに写し、2週間後に再びサング氏に次はどんな練習メニューをすればいいかヒアリング。
そこで初めてサング氏は少年に名前を尋ねました。少年は「エリウドです」と。
すでにこの頃にエリウド少年は、【自制心がなければ何事も成し遂げられない】と気付いていたとのこと。
そこから、練習パターンは数か月続き、さらにサング氏が幼稚園児だった時の担任教師がキプチョゲ選手の母親であることも知ったのです。
なんと運命的な縁なのでしょうか。
サング氏のコーチのお陰もあり、メキメキと頭角を現し、10代にしてケニア国内でも最も有望な選手のひとりになります。
キプチョゲ選手が人生で初めて出場した10kmのロードレースでは見事優勝を果たしたキプチョゲ選手にサング氏は自分が付けていた腕時計をプレゼント。
「僕はその時計をずいぶんと長く使った。いい時計だったよ」とキプチョゲ選手の人柄を示すエピソードも紹介されています。
マラソンへの転向はある怪我がきっかけだった
そこから主にトラックレースでの輝かしい成績が続きますが、2012年のオリンピック予選でハムストリングスを負傷したキプチョゲ選手は万全のコンディションではない状態で結果は予選敗退。
この結果で相当落ち込んだキプチョゲ選手に対して、今後の陸上キャリアについてサング氏ととことん話し合いますが答えは見つかりません。
ふと視点を変えたところ、ひとつの疑問が浮かび上がりました。
【また手にしていないメダルには、どんなものがあるだろうか】
そして、【何か違うことに挑戦しよう】と二人の意見が合致し、サング氏が「マラソンをやってみないか」と提案。
その一言を訪ねた瞬間、キプチョゲ選手の目は輝き、マラソンへのキャリア転向が決まったのです。
③マラソンだけでなく、人生哲学さえも教えてくれる名言が凝縮された一冊
まずはケーキの生地をつくれ、生地をつくらなければ、その上に甘いクリームを塗ることはできない。
キプチョゲ選手ですらこのマラソン転向は想像していなかったそうです。
ここでキプチョゲ選手の物事の見方について紹介されています。
(中略)物事の見方は人の性格に左右されると言う。「悲観的な考えの人と話していると、こちらも悲観的になってしまう。でも楽観的な考えの人と話をしていると、ポジティブに物事を考えるようになるんだ。」何かを挑戦することを不可能と見なすか、可能と見なすかは、考え方次第だといこうことだ。
※本書から一部引用しました。
ここで私が好きなエピソードを一つ紹介します。
2012年、キプチョゲ選手がマラソン転向からまもなく、シックスメジャーズ(東京マラソン、ボストン、ベルリン、シカゴ、ニューヨークシティ)のひとつである【ロンドンマラソン】への出場オファーを受けます。このロンドンマラソンは過去に世界記録が何度も更新される世界最速のランナーが集う高速レースとしても有名で、優勝選手への賞金もトップクラスの額になります。
ロンドンマラソン以外にも【ハンブルクマラソン】からも熱いオファーを受けたキプチョゲ選手はどちらのレースに出場するか大いに悩みます。
ロンドンマラソンは優勝すれば一躍有名になるが、負けた時のリスクはマラソン撤退するぐらいのショックを追うことになる。ハンブルクマラソンはマラソンがどんな競技かがわかる。
こうサング氏はキプチョゲ選手に話し、さらにこのようなことを諭します。
「エリウドはよく考えていた。彼の気持ちはロンドンマラソンのほうに向いていなかった。ロンドンマラソンからのオファーは、ハンブルクマラソンよりも好条件だった。だが私たちはお金の話はしなかった。何よりも重要なのは、これから何をしたいのか、何を達成したいのかに集中することだったからだ」。まずはケーキの生地をつくれ、生地をつくらなければ、その上に甘いクリームを塗ることはできない。
※本書から一部引用しました。
そして、キプチョゲ選手はハンブルクマラソンに出場を決め、コースレコードを更新し見事優勝を果たします。
その後も一度ベルリンマラソンで2位になりますが、そこからは圧倒的な強さでマラソンキャリアを築き、2016年のリオ・オリンピックで金メダル獲得。
その後の活躍はここでは割愛しますが、サング氏のアドバイスを忠実に守ったキプチョゲ選手の態度やマラソンへの姿勢に凄く感銘を受けたエピソードでした。
このように本書にはさまざまな人生哲学が凝縮されています。
最大の敵は自分自身だ
サング氏が2003年にキプチョゲ選手に伝えたエピソードも好きですね。
(中略)最大の敵は自分自身だ。サングは2003年にそうキプチョゲに語っていた。「自分のやっていたことに自信を持て。スタートラインに立ったら、一番練習をしてきたのは自分だと言い聞かせるんだ。打ち勝つべき最大代のライバルは自分自身であることを、忘れないようにしろ。」サングの言葉は、いつもキプチョゲの心の中にある。
※本書から一部引用しました。
その他にも、この一冊にはランニングはもちろんのこと、生き方についても考えさせてくれるエッセンスが凝縮されています。
④自分自身に正直に生きることの大切さ
中盤まで読み進めると、キプチョゲ選手がサング氏へのこれまでの感謝を込めた御礼として、メルセデスベンツをプレゼントするエピソードが紹介されます。
先述しましたが、キプチョゲ選手は父親の愛を知らずに生きてきたので、サング氏を父親のように慕ったのでしょう。陸上コーチとしてではなく、生活面、スポーツ面、ビジネス面でもキプチョゲ選手を導き、やるべきこと、やってはいけないことを教えてくれ、自分の子どもを相手にするように導いてくれたと語っています。
まさに陸上コーチの範疇にとどまらず、サング氏を「ライフコーチ」と表現し、父親のように振る舞い、正しい価値観を常日頃から伝えてくれたとのこと。
そして、【正直に生きることの大切】さを最もサング氏から学んだそうです。
世界のどこにいても、誰といても、常に自分自身でいること。
「周りの人たちにも、その人自身、本当の自分でいてほしい。他人が望む通りの人間になることはできない。そうしようとすれば、自分を見失うことになる」とサング氏は語っています。
サング氏は現役時代から、【正直であることこそが成功の道】だと気づき、コーチになってからもその考えをさらに深耕し、選手からの信頼にも繋がり、良好な関係が保たれると。
私もこの考え方がとても好きで、最も共感したエピソードのひとつでした。
⑤まとめ ~人生には浮き沈みがある。うまくいく日もあれば、うまくいかない日もあるんだ~
今日のブログでは、書評レビューとして『ランナーは太陽をわかちあう』を紹介しつつ、この本から共感できたサング氏とキプチョゲ選手の考え方や人生感などについて一部紹介しました。
私も2018年9月に本格的にランニングを始めて丸6年経ちました。
やればやるほど奥が深いスポーツで、既にライフワークのひとつになり、【走る】というとてもシンプルなものだからこそトレーニングや大会、そして人との出会いなどから様々な学びや気付き、大袈裟かもしれませんが人生哲学を考えるきっかけを与えてくれる、かけがえのないものまでになりました。
この本を読んだお陰で、さらにその考え方は今の自分の芯にあることを実感できました。
最後に文中にも出てきますが、レースでうまくいかなった時、キプチョゲ選手がよく使う言葉があります。
~人生には浮き沈みがある。うまくいく日もあれば、うまくいかない日もあるんだ~
人生そのものを表しているこの言葉から、キプチョゲ選手がこれからどうカムバックするかとても楽しみです。
最後までご覧いただき、ありがとうございました!
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